【日本スポーツ界の宝】アイスホッケー日本代表選手の三浦優希選手の凄さを全国民に知ってもらうための記事

       

どうもこんにちは、プロアイスホッケー選手のもんじです。

三浦優希選手は、ただのプロアイスホッケー選手ではない。
日本スポーツ界の宝だ!

(突然すみません)

今回は、タイトルにある通り、

僕がなぜ、ここまで三浦優希選手を尊敬してやまないか
についてとにかく全力で解説していきます。

アイスホッケーファンの方だけでなく、
三浦優希、って誰なんだ?という方にも楽しんでいただけるように書いておりますよー!

三浦優希 選手の基本情報

画像引用:FloHockey

まず、三浦優希選手のことを知らない方のために、まず簡単に紹介いたします。

出身東京都・東大和市
生年月日1999年7月19日(2025年4月現在:28歳)
身長 / 体重180cm / 77kg

1998年長野オリンピックの日本代表だった父・三浦孝之さんの影響で、3歳からアイスホッケーを始め、現在は、NHL直下の3部リーグであるECHLIowa Heartlandersキャプテンを務めている、現役の日本代表選手です。

夢は「日本人スケーター(ゴーリー以外の選手)がまだ経験したことないNHLでプレーし、日本をオリンピックに導くこと

最近、その夢に変化が起こったことをNote記事にされています。
三浦優希,『178. 今後のアイスホッケーとの向き合い方について』, 2025-01-30

三浦優希選手の経歴

高2までは日本でプレー

画像引用:三浦優希選手 Note『2.人生が大きく変わった”高校二年生”(前編)』, 2018-09-25

小中学生時代は、東大和ジュニアアイスホッケークラブでプレー。

その後は、北海道の強豪校ではなく、地元の名門校である早稲田実業高校へ進学。
17歳の時には、U18・U20日本代表にも選出され、世界選手権に出場。

高校2年生の夏に高校の留学制度を利用し、小学4年生の時に一度訪れて憧れを抱いていたチェコに、夏休みに16日間一時留学
その後、現地のチームから残留のオファーを受け、チェコへ本格的に留学することを決意。

チェコへアイスホッケー留学

画像引用:Kladenský deník

一時帰国後、学校を休学し、2013年11月よりチェコへ本格留学
翌年には学校は退学。チェコにいながら日本の通信制高校であるNHL学園高等学校にて勉学を続行。

2年間チェコのU20ジュニアリーグに所属するRytíři Kladno U20(クラドノ:チェコ・中央ボヘミア州の都市。首都プラハの北西25km)でプレー。
(当たり前に、チェコのジュニアリーグでプレーする初の日本人

2年目には、リーグ得点王に輝き、チェコ2部リーグに所属するKladnoのプロチームからコールアップされて4試合出場。
(チェコのプロリーグ史上2人目の日本人。1人目は坂田淳二さん。
2部とはいえ、日本トップリーグのアジアリーグよりもレベルは高いです)

さらなるレベルアップを求めて北米へ

画像引用:三浦優希選手 Note『107. 「スタイルの違いに挫折」は実力不足の裏返し』, 2020-08-28

その後、そのプロチームからプロ契約のオファーを受け取るも、同時に受け取っていたアメリカTier1ジュニアアイスホッケーリーグUSHLに所属するWaterloo Black Hawksでのプレーを選択し、渡米。

ちなみに、このWaterloo Black Hawksは、前シーズンに寺尾勇利選手(現H.C.栃木日光アイスバックスがプレーしていたチーム。

USHLでは、初めての北米の激しいプレースタイルに苦戦しながらも適応。

チェコで残した記録のような思い通りの活躍はできなかったが、NCAAディビジョンⅠ所属の複数の大学からオファーを受け、そのうちレイク・スペリオル州立大学(Lake-Superior State University)からの全額奨学金のオファーコミット(進学の意思表明)。

シーズン後には20歳で、2018平昌オリンピック予選へ出場する日本代表へ選出され、日本代表デビュー
(最終予選で強豪国に全敗し、オリンピック出場ならず)

NCAA初の日本生まれ日本人選手に

「迷った時は険しい道を選べ」世界最高峰NHLを目指す大学生・三浦優希が続けるアウトプットと描く未来 - アイスホッケー - Number Web - ナンバー
画像引用:Lake-Superior Athletics

翌シーズンには、コミットしていたレイク・スペリオル州立大学へ進学し、全く同じタイミングでNCAAディビジョンⅠのニューハンプシャー大学へ入学した佐藤航平選手とともに、日本生まれの日本人としては初NCAAディビジョンⅠ 学生アスリートに。

大学では、主にキネシオロジー(運動機能学)を専攻。サブ専攻としてスポーツマーケティングも。

しかしチェコのプロリーグで試合に出たことが、NCAAのアマチュア資格を守るルールに引っかかってしまい、1年間の出場停止処分を課されてしまいます。

シーズン途中にその処分が半年に軽減されるも、いざデビューという時に足を怪我してしまい、3ヶ月の療養。シーズン終盤にやっと数試合デビュー

2シーズン目は、怪我もなくコンディションも抜群だったが、控えとしての時間が多く、「精神的に追い込まれていた」と自身は語ります。

しかし、自分と向き合い続け、シーズン中終盤に初ゴールを記録

3シーズン目からは主力として活躍し、上級生としてもチームを引っ張る立場に。
守備のスペシャリストとしてリーグ内シュートブロック数No.1になります。

4シーズン目も成長は止まらず、弱小校の1つとみなされていた同校の25年ぶりのカンファレンス優勝に貢献し、全米大会に出場。もちろんこれも日本生まれの日本人としては初の快挙

引用:Eliteprospects
年を追うごとにポイント数も増えていることが分かる。

2021年・ECHLにてプロデビュー

Yuki Miura coming to Heartlanders training camp on try-out deal | Iowa  Heartlanders
画像引用:Iowa Heartlanders

2021年、北米3部ECHLに新たに加わったIowa Heartlandersのトライアウトに見事合格。
(NHL・Minnesota Wildsの傘下3軍チーム)

ECHLは、シーズン途中でも、選手の昇格(2部AHL行き)・クビ(下部4部リーグ行き)が続々と発生し、どんどんとチームのロスター選手が入れ替わっていく超シビアな弱肉強食のリーグ

しかしそんな中でも1期生・主力として、タフにポイントを徐々に重ね、シーズン途中に肝臓を損傷する怪我などもあったが、療養期間を経てシーズン中には復帰。
シーズンを最後まで同チームで戦い抜く。

現在、今シーズン(2024-25シーズン)もIowa Heartlanders4シーズン目をプレー中。
なんと現在、彼のユニフォームの左肩にはキャプテンマークがついております。]

ECHLチームで日本人がキャプテンを務めるのは初の快挙

生まれ育った日本とは全く違う環境で、しかも世界でも非常にレベルが高いリーグ(日本の唯一のプロリーグであるアジアリーグよりレベルが高い)にてキャプテンとしてチームを引っ張り、そしてチーム史上初のプレーオフ進出を達成しました。

豊富な日本代表経験

Photo credit: JIHF 永山礼ニ

三浦優希選手は、他国のハイレベルなリーグでプレーしてきただけでなく、日本代表としてのプレー経験も豊富です。

高校生時代のU18・U20世界選手権はもちろん、20歳という若い年齢でフル代表にも選出され、それ以来、3度の世界選手権2度のオリンピック予選において、日本代表のユニフォームを身に纏ってプレーしています。

ホッケーとビジネスの両面で活躍

2023年5月より、三浦優希選手はプロアイスホッケー選手として活躍する傍ら、株式会社LeadOff Sportsに社員として入社

LeadOff Sportsはニューヨークを拠点し、北米と日本のスポーツ界の架け橋となることを目指して幅広い事業を手掛けるスポーツエージェンシー。

三浦優希選手は、自身と同じように10代で北米に渡ってきている若い後輩選手たちのサポート業務を行なっています。

単なるアイスホッケー選手という枠を超え、その多才さでビジネスの力もスポーツ界に貢献しています。

僕が三浦選手を尊敬してやまない理由

さて、ここからが本題です。

僕が三浦選手の尊敬するポイントを厳選して語っていきます。

困難があっても、何度も立ち上がる不屈の魂

画像引用:三浦優希選手 公式X, 2024-04-23

とにかくこれに尽きます。

17歳で海外挑戦を始めて以来の10年以上、三浦優希選手は夢に向かって突き進む途中で数々の困難にぶち当たり、その度に立ち上がってきています。

チェコジュニアリーグ時代にも、アメリカジュニアリーグ時代にも、そしてNCAAでも、出場機会を与えられず、ベンチにすら入れさせてもらえず年下の選手が活躍するのを観客席から見るという経験を何度もします。

特にレイク・スペリオル州立大学2年生時には、得点を取ったという夢を見て、起きた瞬間に憂鬱な気分から1日を始めるという日もあったそうです。

しかし、一切言い訳をすることなく、その度に以下のように自分に問いかけて、自分を奮い立たせてきたと言います。

落ち込んでるけどさ、ここにくるって誰が決めたんだっけ?」の一言さえ自分自身に聞いちゃえば、「あっ、それ俺だね」となり、「じゃ頑張るしかねえか」という答えに帰着します。

これが、僕自身の問題解決方法であり、現状突破の仕方であり、顔を下から上に向けるきっかけとなります。

三浦優希 Yuki MIura 公式Note, 『137. 自分が選んでここにいる』, 2021-04-25
もんじ
もんじ

僕が、昨シーズン(2023-24シーズン)にドイツ4部でプレーした時も、今シーズン(2024-25シーズン)アメリカ最下のプロリーグにてプレーした時も、同じように試合に起用してもらえない経験を何度もしました。

その悔しさ、マジで尋常じゃないです。生活に支障をきたすレベルで悔しいです。

「絶対に他選手より活躍ができる」と意気込んでいたにも関わらず、全く起用してもらえない瞬間。
いざ出させてもらっても、大事な場面で思ったようなプレーができずに、ベンチに引っ込められてしまう瞬間。
試合中に出場させる選手に迷っているコーチに熱い視線を送るも、すぐに目を逸らされてしまう瞬間。

身体中を掻きむしり、何度も枕を濡らしました(泣)

その経験を、三浦優希選手は僕の何倍もしているでしょう。
しかも、ほぼ全ての日本人選手たちが経験したことのないレベルの環境において、です。

しかし、その数々の挫折を乗り越え、「その挫折があってよかった。」と振り返っています。

挫折から何度も立ち上がり、夢に向かっての歩みを一切止めないその不屈の魂は、アイスホッケーのみならず、何かに挑戦する全ての人間に勇気を与えるものです。

圧倒的な言語化力と、継続力によるSNS発信

三浦優希選手のnote

三浦優希選手の凄さは、その歩んだ経歴と不屈の魂だけによるものではありません。

これまでの経験を、分かりやすく人を惹きつける構成・文章にする言語化力も卓越しております。

三浦優希選手のX(旧:Twitter)のフォロワー数は、日本人アイスホッケー選手の中でダントツトップの9,000人超
アイスホッケー界のみならず、他スポーツの著名人やファン、さらにはビジネス界の方々までもが三浦選手に魅了されています。

そして驚くべきは発信を継続する力

記事プラットフォームのnoteにて2018年から7年間、なんと合計179記事を発信し、アスリートとしては異例の3000人フォロワー超

音声プラットフォームのVoicyでは、2020年から5年間三浦優希のパーフェクトライフ!」というチャンネルを運営し続け、これまでで800音声を配信
総再生回数は12万回越え

日本のトップ選手として世界を舞台に戦い、その最前線で学んだ教訓知見、そして情熱を、日本のファンへ惜しみなく還元しています。

以下、僕の感銘を受けた&非常に勉強になったNote記事をリストアップいたします!

「日本アイスホッケー界のために」の精神

画像引用:日本アイスホッケー連盟公式Instagram, 2024-08-31
2026ミラノ冬季五輪 最終予選 vs ノルウェー にて、体を張ってゴールを守る三浦優希選手

上記で紹介した、三浦優希選手の海外挑戦、およびSNSでの発信を続けることも、その原動力の1つには「日本のアイスホッケー界のために」という思いがあります。

三浦選手は、自らのキャリアや学びを”個人の成功”に留めるのではなく、「次の世代にどう還元するか」「日本のホッケーをどう良くしていけるか」を常に問い続けています。

2024年8月に行われた2026ミラノ冬季五輪の最終予選で、三浦優希選手は日本代表として、強豪国と対戦。
格上チームに善戦を繰り広げたものの、結局3連敗で、オリンピック出場権は得られず。

日本のアイスホッケーファンたちは、オリンピックに出場できないことに悔しさを抱きつつも、NHL選手を多く擁する強豪国に対して善戦した日本代表選手たち「よくやった。」「十分成長が見えた。」「これからだ。」と褒める意見が多く散見されました。

しかし、試合直後のインタビューにて三浦選手は、大粒の涙と共に「悔しい気持ちでいっぱい」と答え、掴みかけていた夢を逃してしまったことについて、重く言葉にしました。

このインタビューからも、三浦選手がどれほど「日本のアイスホッケーのために」戦っているのかがヒシヒシと伝わります。

また、上記でも紹介したNoteの記事にて、以下のように綴っています。

”ノブレス・オブリージュ”は本来は「高貴なる者の義務」という意味で使われていると話をしましたが、僕の中では「偶然自分が受けた恵みを、少しでも多くの人に還元・循環させる使命」という理解をしています。

今まで自分が享受してきた稀有な経験や知識、自分が目にしてきた景色というものを、「夢を追うアスリート」として周りの人や後世に伝えていくという責務があると思っています。

(中略)

少しでも自分の経験を必要としてる人や、それに興味のある人に、自分の持っている情報を届けたいという思いから、SNSという手段を使って発信しています。どんな些細なことでも、自分のちょっとした行動や経験が、世の中のどこかにいる誰かのためになるというのなら、僕は喜んでgiveをさせていただきます。

note, 三浦優希 Yuki Miura,『25.ノブレス・オブリージュという考え方』, 2018-12-08

全国の小・中・高校のホッケー関係者やアスリート志望の学生から届くDMや相談にも、丁寧に応えており、彼のSNSは「未来のホッケー選手たちの駆け込み寺」としても機能しています。

帰国時には、三浦選手の地元である東京を中心としたジュニア選手・高校生・大学生の選手たちの練習に参加し、選手たちから求められた際には親身にアドバイスを行っております。

さらに、オンライン・オフライン問わず交流や講演も精力的に行い、アイスホッケーに関することだけでなく、人間としてどう生きるかにまで踏み込んで、後輩たちに直接語りかけ、背中で「挑戦」の意味を見せています。

彼の存在がいることで、「ホッケーを続けたい」「もっと上を目指したい」と思える若者が、今も確実に増えているのです。

まさにこれからの”日本アイスホッケー界のリーダー“だと言えるでしょう。

三浦優希選手のこれから

画像引用:三浦優希選手 公式X, 2023-09-15

三浦選手は、まだ28歳の中堅選手。
勝手な推測ではございますが、まだまだあと数年は現役で活躍されることでしょう。

2025年1月30日に更新したnoteでも以下のように綴っています。

まず、アイスホッケー選手としての現役生活ですが、まだまだこれからも続けていく予定です。

(中略)

自分のホッケー人生は、アメリカで完結させるものだと思って、日々生活しています。
(もちろんチャンスがあるのなら、生まれ育った日本でもプレイしてみたい気持ちはありますが)

note, 三浦優希 Yuki MIura, 『今後のアイスホッケーとの向き合い方について』, 2025-01-30

今のように海外のプロリーグで魅力的な活躍を続けていれば、日本代表として活躍する三浦選手を目にする機会も多いでしょう。

加えて、自身のアイスホッケー選手としてのキャリアの他にも、ビジネスマンとしてのキャリアについても思い描いていることがあると言います。

将来的には国際アイスホッケー連盟の要職に就くという目標もある。

「国際的な場所での日本のアイスホッケーのプレゼンス(存在感)を高められるといい。今の段階で何かが動いているということはないが、そういうインパクトをスポーツ界に与えられるような人間になりたい」。

時事.com, 『米国でアイスホッケーとビジネスの二刀流 三浦優希が続ける飽くなき挑戦』, 2025-03-17

これからも、三浦優希選手は日本アイスホッケーを引っ張る揺るぎないリーダーとして、皆さんに勇気と感動を与え続けてくれることでしょう!

とりあえず、4月中旬から始まるECHLプレーオフを全力応援しましょう!!!!

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